にじさんじ所属のバーチャルライバー剣持刀也の著書.前半の4割くらいがエッセイでその他にお悩み相談,VTuberや父との対談が収録されている.2時間くらいで読み終わった.
著者の剣持刀也はVTuberグループ「にじさんじ」に所属するタレント.YouTubeで主にゲーム実況をやっている印象がある.コメントやマシュマロを介した視聴者とのやりとりが面白い.以前は対談形式のラジオでゲストとラップバトルをしており,毎回楽しみにしていた.
トークの節々で豊富な経験と知識があることを感じさせるが,多くのVTuberと異なりプライベートな話題は少ない.
僕はVTuberをやる上で人として好いてもらおうという気持ちはあまりなく、ただエンタメをお届けしたいと思ってやっているので、ゆったりした長時間雑談や寝落ち配信など、腰を落ち着けて視聴者とまったり話す場は設けず、エンタメ用のエピソードトークはすれど、悲しかった話、ムカついた話、自分の人生の話、己の思想など、自分語りをほとんどしていない。
剣持刀也.虚空教典(p.11).株式会社KADOKAWA.Kindle版.
そんな彼が5年越しの自己紹介として出したのが本書である.
世界に裏切られない方法
タレントという職業は,いろいろな人からいろいろなことを言われるので安定した精神状態を維持するのは難しいだろう.特にYouTubeとSNSを主な活動場所とするVTuberは精神的に摩耗する人も多いようだ.インターネットの匿名性もあり正負問わず様々な感情がのったコメントが飛んでくる.著者はメンタルを健全に保つ方法を同業者から相談されることがよくあるらしい.著者が言うには人間に世界に期待しているから心が傷ついてしまうのだという.
世界に絶対に裏切られない唯一の方法は世界に期待しないことだ、なんて16歳の僕が言うと冷めているだの老成しているだの言われるが、これは人間の悪性に諦念しているのではなく、単に悪性も肯定しているだけなのだ。 夜目遠目笠の内という言葉があるように、見えない部分を美しく期待してしまうこともまた人間らしさだが、完璧でないことにすら尊さを感じられたら、その時はさらに強くなれるはずだ。
剣持刀也. 虚空教典 (p.22). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
どれだけ人生経験をつめばこのような考え方ができるのか.とても16歳の言葉とは思えない.
簡単に到達できる領域ではないが考え方は理解できる.無意識に他人に期待してそのとおりに行動してくれなかったとき勝手にがっかりすることがある.はじめから期待しなければこのようなことは起きない.これは自分自身への期待も同様で,裏切られたときには何らかのダメージを受ける.
消極的な姿勢ではあるが,自分にも他人にも期待しすぎないことは健全な精神状態を保つうえで重要だと思う.
自分のために行動する
著者はバーチャルライバーとして活動するうえで「媚びない」ことを過度に意識している.タレントと呼ばれる人たちはお客さんに対して多少は媚びるものだと思う.特に下積み時代は知名度を上げるためプライドを捨てて媚を売ることもあるだろう.芸能活動とは切り離せない媚びるという行為を著者は避け続けている.
著者にとって媚びとは「他人の為にする行動全て」だという.そのため母の日にカーネーションを贈ることも母親に媚びていると思うくらい拗らせてしまった.
昔は正常に機能していた脳内の媚びファイアウォールも、コメント欄にあった「剣持は媚びないのが媚び」という一文を目にして以来、エラーを吐き続けている。
剣持刀也. 虚空教典 (p.41). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
その考えでは日常生活に支障をきたしそうだが,他人のために行動できないなら自分のために行動すればいいという.自分の中で完結していれば他人に媚びることはない.さらに以下のようにも述べている.
加えてこの理論はメンタルの強化にも通ずる。媚びにしろ恩にしろ、売ってしまったら対価を欲するのが人間。しかし自分がやりたくてやっているのであればそれがすでに対価なのだ。自分の善意をお節介と言いきれる人間は誰にも裏切られない。
剣持刀也. 虚空教典 (p.42). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.
著者が媚びを避ける理由は
- 媚びないほうが格好いい
- 視聴者と同じ土俵にいるため
- 親に見られるから
の3つだとしているが,日常生活で対等な人間関係を築く上でも媚びないことは重要だと思う.
一方的に他人に与え続けることは難しい.どんなにささいなことでも人に何かしてあげたときは対価を求めてしまうと思う.
私の場合はただの親切心でやったつもりでも,後になって「あのとき~してあげたのに」とか思い返すことがある.しかも自分は「してあげた」と思っているが,相手はそう思っていないこともある.対価が返ってこなければ一方的に不満を募らせるだけだ.人間関係において不満は我慢せず伝えるべきだと思うが,元は自分の親切心から始まったので恩着せがましくなり難しい.「他人のためにしてあげた」ことがストレス発生の原因になっている.
対等な関係を築くにはやはりギブアンドテイクが必要だが,完璧に実現できるものではない.
自分で勝手にストレスを溜め込まないために「自分のために行動する」のは効果的だと思う.
おわりに
ただのエッセイだと思っていたが文体や論調もあいまって信者に対して教えを説いているようで,まさに教典のような雰囲気があった.
また,しっかりオチが用意されていたり真面目に持論を語りつつ抜けているところがあったりと普段の配信と変わらない面白さがあった.
そのため本書は自身について赤裸々に語ったエッセイではなくどちらかといえば「ファンを楽しませるために書かれた本」であり,まだ秘めているものがあるように感じた.
謎めいた部分があるのも著者の魅力のひとつだと思う.
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